Harpsichordist TOMOKO MATSUOKA
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          イタリア便り
 
2010.3.3 N.27
「バルセロナの街」


先月27日、5ヶ月間のバルセロナ留学を終えてミラノに戻ってきました。

バルセロナの街については、とても住みやすい良い街だなぁという感想を持ちました。
特に印象的だったのは、外に出ると、以外に多くの障害者に出会うこと。道を車椅子で行く人、 白い杖を持って歩いている人、そして私の通っていた音楽院にも、そういった学生仲間がいましたし、 図書館職員や事務室の職員さんにも、軽い障害のある人が毎日働いていました。

バルセロナに来て間もないころ、地下鉄の駅で、全く知らない女性から、電車に乗り込む直前に、 手助けして欲しいと頼まれたことがありました。声をかける方にしてみれば、 言葉が通じるかも分からない東洋人を信頼して、助けを求めてきたということは、 私にとってうれしい出来事であり、また、物騒になるばかりの現代社会でもまだ、 こうした信頼関係が持てるのは、素晴らしいなと思いました。

また、空港には車椅子マークのインフォメーションがあり、バスや電車、トラムなどの交通機関にも、 必ず車椅子用の席があり、バリアフリーがかなり実践されています。学校のお手洗いにも、 各階に必ず車椅子用の広いものがありました。

他に気づいたことは、街に赤ちゃんや子供が多いこと。 レストランやバールには小さな赤ちゃん連れの家族も頻繁に見かけました。 また、社会で仕事をしている妊婦さんも目に留まりました。

こういうことを良く考えてみると、マイノリティーに対してやさしく住みやすい街のようです。 そういわれてみれば、バルセロナは外を裸で歩くのも合法ということですし、 近年は同性愛者に対しても寛容な法律が整っています。ビーチではヌーディストの人もよく見かけました。

そしてこれが、カタルーニャ地方において特に顕著なのかもしれないと思ったのは、 初めてカタルーニャの外に出た時でした。それは、 スペインの中のマイノリティーであるカタルーニャ地方の歴史と文化に深く関わっているような気がします。
外国人というマイノリティーである私を温かく受け入れてくれたバルセロナの街。
とっても気に入りました。

 
 

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